ABOの「音楽・生聞(ナマギキ)通信」

北海道「当別新聞」に2008年4月~月一で連載されたコラムです

お気に入りのCDなら、好きな時に何度でも聴けるが、ナマの音楽には、その時、その場所でしか、出会えない。

ナマの音楽を聴きたい時は、ライブハウスに行こう。ライブハウスというと、デビュー前のロックグループとファンの若い子がこぶし振り上げて、大音量で、というイメージを持っている人も多いかと思うが、程よい広さのスペースで、普段着感覚で、プロのミュージシャンがじっくりと聞かせてくれる、そんな店も数多く存在する。
ライブハウスを長年に渡り経営し、自らもミュージシャンであるABOの、ライブハウスや音楽にまつわるヨモヤマ話。

【第1話】はこちら

【第2話-前編-】はこちら

【第2話-後編-】はこちら

【第3話】はこちら

【第4話-前編-】はこちら

 

【第4話-後篇-】

 

『ニューオリンズのアルじいさん(後編)』

 

 東京での野外コンサートを皮切りに、京都、大阪、ジロキチと「ニューオリンズから来たジャズの生き神様」アルじいさんのライブはどこも大盛況だった。
 実は、無名のアルじいさんだけでは、いくら宣伝してもお客の入りが心配だったので、人気ロックバンド「ボ・ガンボス」のキーボーディスト、キョン(Dr.kyOn/ドクターキョン)にゲスト出演をお願いしていたのだ。ニューオリンズブームの火付け役でもあるキョンは、長身でイケメン。当然熱狂的な女性ファンも多い。
 ちなみに現在は、佐野元春、松たかこ、平原綾香などのサポートもしている超売れっ子ミュージシャンだ。忙しい合間を縫ってジロキチにも出演してくれたり、私のディジュリドゥーマジックでも一緒にやってくれている。いつも有難うございます!

 予想通り、会場はキョンが目当ての若くてお洒落な女の子で満席だ。
 まずキョンが登場し、長髪を振り乱さんばかりのアクティブなピアノと歌で雰囲気を盛り上げ、続いて、アルをステージに呼び出した。

 黒のスーツに黒の革靴、羽飾りの付いたトレードマークのソフト帽。若いモンには負けん、と思った(に違いない)アルじいさん、いつにも増して甘くハスキーな声で「アイム コンフェッシング アイ ラヴ ユー」(愛の告白)を歌って女心をくすぐる。好みの女性客にさりげなくウィンクする姿は、とても85歳とは思えない。しかも全然イヤミに見えない。
 歌の合間には、ヒューマントランペットで、しっかり拍手と笑いを取り、ブギウギピアノは冴え渡り、最後は日本人にもお馴染みの「ジョージア オン マイ マインド」で最高潮に。
 ライブ後の楽屋は、すっかりアルに心を奪われた女性ファンが何人も押しかけ、中にはニューオリンズに会いに行くと約束した人までいた。恐るべき85歳!

 こうしてアルじいさんの日本ツアーは大成功に終わり、ついでにニューオリンズまで送っていくことにして、アルと共に機上の人となったのだった。

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 ニューオリンズ。ヨーロッパからの移民や、奴隷として連れてこられた黒人、様々な人種と文化が交じり合った地。ジャズ発祥の地。
 町中に陽気な音楽が溢れている。路上でサックスを吹く黒人。オープンカフェで演奏されるディキシーランド。ゆったりと流れるミシシッピ川を、蒸気船がポンポン煙を吐きながら走っている。マーケットには、トウガラシやタバスコなどのスパイス類、ザリガニやナマズ、アリゲーターなどの珍しい食材。新鮮なカキを食べられるオイスターバーやら、スパイシーなケイジャン料理の店もある。
 代表的なケイジャン料理「ガンボ」は、シーフードやオクラ、トマト、ライスのごった煮で、意外に日本人の口に合う。

 中心街のバーボンストリートには、大小のライブハウスやナイトクラブが軒を連ね、夜になると、開けっ放しのドアから、ジャズ、ファンク、ブルースなど、様々な音楽が聞こえてくる。ほとんどの店は、飲み物を注文するだけで、自由に出入り出来るので、気軽に聞いて回ることができる。
 アルじいさんの演奏するセブンイレブンも、カジュアルなパブといった感じの店で、通りまで響くアルの元気なピアノの音に引き寄せられて、たくさんの観光客が訪れていた。

 偶然、忌野清志郎さんが雑誌の取材でニューオリンズに来ていたので、早速セブンイレブンに案内した。アンプ内蔵のギターを持っていた清志郎さんとアルじいさんとのミニセッションが始まり、たまたま居合わせた日本人観光客はびっくり仰天、飲みに来ていた地元の客にも大ウケだった。

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 2001年8月、アルじいさんは95歳で亡くなったが、その数日前まで元気にステージをこなし、日本に行ったことがあるのを度々自慢していたという。ブラスバンドと一緒に行進するにぎやかなニューオリンズ式の葬式。長年バーボンストリートで輝き続けた偉大なピアニストを悼み、盛大なパレードで送られたと聞く。